千と千尋の神隠しのレビュー・感想・評価
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社会におけるアイデンティティについて、考えさせられる深い映画です。
アニメではあるけども、大人も楽しめるような深い映画です。
人が自立し、成長していく様子が描かれているように感じます。
大人は完全に脇役として、上手に、主人公「千(千尋)」のチャレンジと成長をアシストしています。
映画の中で流れる緩やかなテンポで心地が良い音楽は、その成長を見守れるような安心感を創り出している気がします。
子供ながらも、自身のアイデンティティを守るために生きていく様は、
現代の一人一人の実質的な状況を描写してるような深い映画です。
「自分は何のために生きているのか?」
「どうなりたいのか?」
「自分が存在している理由は?」
深く考えさせられる映画です。
ジブリの中でも独特な世界観。 ちょっと怖さと気持ち悪いシーンはあり...
ジブリの中でも独特な世界観。
ちょっと怖さと気持ち悪いシーンはあります(笑)
けど、ハクが自分の名前の思い出すシーンはじんわりくる。
空や海、水、青の使い方がすごく好きな作品です。
観劇のため予習
15年振りにまともに見た。
両親が豚になるシーンがトラウマで当時は最も印象的だった。改めて見るとえらく自分勝手な親だなあとツッコんでしまうけれど。
他にも新たな発見は沢山あった。釜爺とリンの面倒見の良さ、湯婆婆の意外なお茶目さ、変身後の坊の可愛さ、カオナシのミステリアスさ、千尋の圧倒的成長率。時間が経っても新鮮な気持ちで見れそうだ。よきかな。
やはり名作
かなり昔に鑑賞して以来なので、ストーリーもほぼ忘れていたが、やはり名作だった。初めて観た時より楽しめたと思う。
日本的な背景の美しさも良かった。
色鮮やかで外国人に人気があるのも理解できる。
千尋の成長のストーリーは、自分も一緒に成長していく感覚。勇気をもらえる内容だった。人生いろいろあるけれど、しっかり働いて生きていこうと思う。
たまに見返したい映画だ。
ハクがその後どうなったか?は、ネット情報だと、多くが悲しい結末を想像していたが、その部分は映画では描かれていない以上、想像は自由だ。私はハッピーエンドが好きなので、ハクも元の世界に戻ることができたと想像してストーリーを終えることにした。
何度観ても良さがわからん
宮﨑アニメ&ジブリ映画自体、基本的にあまり好きではないが、良さは謙虚に評価・賛美したいと思っている。
しかして、本作だけはまったく良さがわからない。
何故、これだけ日本中で、いやさ世界中で評価が高いのか?
シカゴサンタイムズもニューヨークタイムズもロサンゼルスタイムズも読んだ。しかし、やはり具体的にどこを褒めているんだかさっぱりわからん。抽象的なフワッとした大絶賛ばかりだ。
しかし、どれだけ世間の評価が高くとも、私は感覚的に非常に強い嫌悪感を覚えてしまうのだ。
おそらくは、宮﨑監督自身が「非常にネガティブな動機」に掻き立てられて本作を創造しているからだろう、と推察する。
まず、千尋の両親の造形が嫌で嫌で堪らない。本作は「10歳前後の女児」を対象に創作されたそうだが、自分の両親をあのように描かれて喜ぶ子供がいるものだろうか?
いるとしたならば、相当な抑圧を親から受けているのだろうが、しかし10歳の子供というものはストックホルムシンドロームよろしく自分の親を心から愛したいと願っている健気な存在なのだ。
この両親のキャラ設定は、宮﨑氏が「今ドキの若い親」というイメージに対して描いている(いた)、年輩者としての上から目線の偏見に他ならないと強く思う。
湯屋に象徴される「世間の穢らしさと厳しさ」
客達に透けて見える資本主義や権威、従業員に重ねられている意志薄弱、そういった様々な世相に対しての宮﨑氏の唾棄するかのような嫌悪感。
(また、女性の初潮に対して監督が抱いていると思われる、男性目線の過剰な価値観も不快感を禁じ得ない。)
一見、少女の逞しき成長譚&美談と思わせるような表面上の造りと裏腹に、監督の厭世観をひしひしと感じてしまう本作。そこに、堪らない嫌らしさを感じてしまうのだ。
本作を絶賛する人々こそが、監督の眼には「豚」だと映っているように思えてならない。
さて、20年の歳月を経て、10歳前後の少年少女が純粋に夢中になる鬼滅の刃がついに本作の日本歴代興行収入記録を抜いた。(鬼滅を大人が絶賛する現在の風潮もどうかとは思うが。10歳前後に人気がある理由は非常によくわかる。少年漫画とは斯くあるべき、と思う。)
今の宮﨑監督ならば、本作の事をどう振り返るのであろうか?
よく、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」と同カテゴライズされるようだが、断じて違う!と個人的には考える。
人生円熟期に入る宮﨑監督ならば、制作当時とは違った評価を本作に与えるのであろうか?是非、問うてみたいものである。
宮崎作品は奥が深い
2度目の鑑賞
ただし、前回は酔っぱらって後半を覚えていない
豚になってしまった両親を人間に戻すために頑張る主人公の物語
途中、ハクを助けるために寄り道してしまうけど
最後は両親を助けることができた
宮崎作品は色々なメッセージが込められているからか
こちらがどう見るかで感想が変わる
だから見終わると「?」な気持ちが残る
よきかな
こういう世界観は、どこから発想されるのだろうか。やっぱすごいぜ、宮崎駿。一番好きなのは、一面の水の中を走る列車のシーン。夕暮の美しくも寂しい感じがたまらない。
まだいたいけなこどもの神木隆之介、演技がすごすぎ。真っ黒くろすけ、かわいい。くされ神がきれいになって帰っていくところは、見てるこちらも気持ちがいい。よきかな〜。
公開20年経っても、地上波放送すればつい見てしまう。日テレ金曜ロードショーにて。
千尋の成長
臆病で挨拶も出来なかった(いきなりあんな世界に放り込まれたらムリも無いですね...)千尋の成長ぶりに感動しました。
自分の意見を持ち、それを誰かに伝えたり、自分以外の誰かの為に主体的に動く姿が頼もしかったです。
不思議で不気味で神秘的な世界観、そして湯婆婆の強烈なキャラクターに圧倒されました。そんな中で疎まれながらも徐々に周囲に認められていく千尋の柔軟性や適応力も羨ましいです。
子供の頃の見方と変わっていた。
子供の頃この作品を映画館で見て、千尋に感情移入して見ていたのを思い出す。カオナシに対しては憎めない所をあいまいながらも感じていて、エンディングが流れる中ですごい作品に圧倒された感覚を味わっていたと。そんな日の約20年後にもう一度見返すことになっての感想である。
見ていくと、全てではないが、多くの場面を思い出しながら見ている事に気付かされた。だから、この後どうなる?というような緊張感や衝撃も無い。それほど、1度か2度ほど過去に見た記憶が印象的に記憶に染み込んでいるんだろう。そう思わされる中で、劇中の表現に対するものの見方の変化(千尋をある程度離れた視点から子供として見ている、カオナシへのより強いシンパシー、劇中で表現されるギミックや日本文化に結び付けられて表現される事柄への注目)を感じていった。
今回、今作品を再度見て、面白いと思ったのだが、しかし、子供の頃に見た時感じたはずの感動は感じられなかった。理由としては、この作品の対象が子供に対してのものであるから(独り身で油屋という会社に初めて就職して社会の洗礼を受ける、という体験は自分にとって新しくない。主人公が子供であり、周りは坊以外は全て大人であるため、言動という点でいえば全ての言動が優しく聞こえる。子供向け作品だろうから当たり前ではあるが、それが、社会に出てある程度たった大人としては、社会はもっと自分に対して無関心でエゴイスティックだよという思いと反発し、『そんなに社会は甘くしてくれない』という感情につながり没入感の邪魔をした)というのが一つあるかもしれない。他には、場面場面の記憶への定着が強すぎて全体的に覚えてしまっていたから再び感動することはできなかった、というのがあると思う。
個々の具体的な映像表現で印象ぶかかったのは、白竜の空を泳ぐ姿の遠景が、今回の視聴においてもリアルだと感じた事と、銭婆の家に案内した1つ目ランプが静寂の暗い夜の中でピコピコ音を出しながら近づいてくる様子にもリアルを感じた事だ。
最後に、今回今作を見ることで得た感想により今まで若い時期に見てきたジブリ映画へのぼんやりした印象により現在ジブリと宮崎駿を漠然と評価していた事に気づかされた。そして、今作のような主人公が思春期前の人物である作品はあまり見てこなかった(思いつくのはハリーポッターの賢者の石くらいか)ということもも確認した。その気づきをもって、今後ジブリを始めとするファンタジー界隈に限らず創作物とのかかわり合いをより気づきある良いものにしていきたい。
下世話なオヤジ趣味から自由になれなかった日本版「不思議の国のアリス」
宮崎監督の解説によると、本作は個人の中に侵食してくる曖昧な現実を明確化して、それと戦う少女を描いたもので、あわせて言葉が力なのだと示したかったという。そう言われてみればそう見えなくもない。しかし、普通はそう見ないだろうな…w
では、お前はどう見るのか。
ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」ではウサギの穴から地下に落っこちたアリスは、さまざまな不思議な生き物たちと出会う。
姿が徐々に消えていき最後に笑った口だけが残るというチェシャキャットや3月ウサギ、眠りネズミ、マッドハッターにハンプティ・ダンプティ…彼らに向かって、アリスは好き嫌いをはっきり主張し、物事をじつにてきぱき処理していく。そのカッコいいアリスに本作の主人公はそっくりだと見る。
この映画の意味は何なのか? 「不思議の国のアリス」の意味は何だったかを思い出せばいい。それは無意味という名の意味がある世界、意味ではなく遊びがあればいいという世界だった。本作の世界もそれと同じで、現実の何らかの対応、比喩を見つけようとするとつまらないし、かなり無理がある。
湯婆婆や銭婆が現実世界の資本家や企業経営者で、客の神様はみすぼらしいが大富豪とか、いけすかない成金のカオナシとかで、その世界では人が単なる記号で扱われて本当の名前(自分の希望)を忘れるとか…対応はできるが、まさにそれに「何の意味がある?」ということだ。
この無意味な遊びの世界で、観客は現実から遊離し、理屈はわからないがそうなってしまうというお話の中に飲み込まれ楽しんで帰ってくる。それが本作なのである。別の人のレビューでも触れられていたが、宮崎は一種のディズニーランドを構築したともいえる。
ただ、いかんせん昭和のオヤジらしい教養のレンジから宮崎も自由ではなかった。だからアトラクションの内容が黒柳女史らしき湯婆婆や銭婆、ソープまがいの仕事場、エンガチョなど、下世話な趣味に終始してしまったのを、同じオヤジ族として悲しく思う。
のめり込んでしまった!恐怖から応援へ
子供の頃に何度か金曜ロードショーで見たことはあったが、大人になって見たのは初めてだと思う。
世界観にどんどんのめり込んでいった。
最初は、怖い気持ちが溢れていたが、
だんだん成長していく千尋が活躍するのを
一緒に喜んでいる自分がいた。
何もいう必要がない。 名作。 いつ見ても楽しめるが、子供の頃に見た...
何もいう必要がない。
名作。
いつ見ても楽しめるが、子供の頃に見たのと、大人になって見たのでは印象が大きく異なるのがまた面白いところ。
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