劇場公開日 2000年7月29日

パーフェクト・ストーム : 特集

2000年8月1日更新

ジョージ・クルーニー&マーク・ウォールバーグ 日本でもブレイクなるか?
マーク・ウォールバーグ編

(編集部)

「ブギーナイツ」
「ブギーナイツ」

マーク・ウォールバーグはお世辞にも二枚目とは言い難い。はっきり言って猿顔である。だが、愛嬌のある猿顔だ。今でこそ人気映画スターの仲間入りを果たしているが、彼がスターの座についたのは最近のことではない。その昔、白人ラッパー“マーキー・マーク”として、アイドル級の人気を誇っていたのである。

1971年6月5日、ボストンの下層階級の9人兄弟の末っ子として生まれたマークは、12歳の時、兄のドニーと受けたオーディションに合格。“ナヌーク”という男性ボーカルグループの一員となる。だが、音楽性が合わず一年足らずで脱退。ところが、そのまま在籍したドニーは、後に“ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック”として全世界で大ブレイクすることに。一方、高校もドロップアウトしてしまったマークは、ストリートにたむろする連中と、ドラッグやアルコールはもちろん、万引きや強盗など何でもござれの悪行三昧。17歳にしてドラッグおよび暴行罪で逮捕、更正施設へと入れられてしまうが、何とか立ち直り、好きなラップに本腰を入れるようになる。

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その後の人生は実に華やかだ。全米一のアイドル、ドニーの力添えで、91年に“マーキー・マーク・アンド・ザ・ファンキー・バンチ”としてレコードデビュー。一躍人気者となり、デビューシングル「グッド・バイブレーション」は全米ナンバーワンを獲得、デビューアルバム「ミュージック・フォー・ザ・ピープル」もプラチナディスクに輝いた。そしてこの頃のトレードマークは裸(上半身のみだが)。筋肉隆々の身体が、彼の成功の一端を担ったことは否めない。かつては肥満気味だったらしいが、毎日ワークアウトに励み、プロテイン、アミノ酸等を中心にした食生活に変え、わずか8カ月で見事なマッチョに変身したのである。そのマッチョぶりが認められたか、92年にはカルバン・クラインのCMにケイト・モスと出演。裸で抱き合ったポスターが話題になり、マーク自身にも注目が集まった。94年には日本にも進出、カルピスのCMにこれまた上半身裸で登場している。

この頃から役者としても活動開始。ペニー・マーシャル監督の「勇気あるもの」(94)への出演依頼が舞い込んだのだ。「役者に興味はない」と公言していたマークだが、監督と主演のダニー・デビートに直接会ったことで気持ちが変化し、出演を快諾。ここから“役者”にハマっていく。次に出演したのが、レオナルド・ディカプリオ主演の「バスケットボール・ダイアリーズ」(95)。マークの役は、レオと同様にドラッグ中毒の高校生。自身の過去とダブる役柄だった。これをきっかけにパーティー狂のレオと友達になり、共にクラブ通いに励む。若かった。

「スリー・キングス」
「スリー・キングス」

そして97年の「ブギーナイツ」で、役者としての名声は一気に高まる。オスカー3部門にノミネートされたこの作品で、マークは若きポルノ俳優に扮し、各方面で絶賛を浴びた。もちろん、全裸も披露した。そして99年、ジョージ・クルーニーとの記念すべき初共演作となった「スリー・キングス」(99) は、痛快なアクションとひねりのきいた映像でまたも批評家の支持を得た。そのクルーニーの推薦で、マークは今回の超大作「パーフェクト・ストーム」に名を連ねたわけである。今後もクルーニーのプロデュース作品への出演や、共演する作品が控えている(ジョージ・クルーニー編を参照)。先日の来日記者会見の折りも「ぴったりくっついてジョージから離れないよ(笑)」とのたまうほどのラブラブぶりなのである。

順風満帆なマークの俳優人生。次に控える大作は、ティム・バートン監督による「猿の惑星」のリメイク「The Visitor」だ。オファーを受けたマークの「どの猿を演じるんですか?」という質問に、ティムは「君がやるのは人間の役だよ(笑)」。そう、マークに与えられたのは、かつてのチャールトン・ヘストンが扮したテイラー。コーネリアスではない。残念。全米公開は2001年の7月4日。演技派の猿顔として、どこまで本領発揮してくれるのか。非常に楽しみだ。

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