ジブリのその先の到達点! のん主演「この世界の片隅に」ドキュメント・レビュー : 清水節のメディア・シンクタンク (3)

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コラム:清水節のメディア・シンクタンク - 第16回

2016年11月11日更新

第16回:ジブリのその先の到達点! のん主演「この世界の片隅に」ドキュメント・レビュー

■リアリズムが炸裂する空襲シーンで初めて知る本当の恐怖

画像1 (C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

それにしても片渕須直は、なぜこれほどまでに執念深く、精緻に描くことにこだわったのだろう。地元フィルムコミッションや若手記者とのやりとりの中で、時折、片渕の方が広島の地理や史実に詳しい一面を垣間見る瞬間もあった。のべ6年という歳月をかけて、昭和初期の世相風俗を正確に再現する調査や取材に時間を割いてきた。広島・呉に足繁く通い、資料写真の点数は4000点を超えたという。ディテールの積み重ねによって、時代・社会・街・人がそこに立ち現れ、人々の暮らしぶりを手に取るように感じることができる。きっと片渕は、広島巡礼を繰り返しながら、時空の裂け目を破って、戦前戦中の日本の姿を観ていたに違いない。

「ここで描くことは理念であってはいけない」とまで片渕は言った。生活描写もさることながら、日常が蝕まれていく描写に瞠目する。特筆すべきは、航空史研究家でもある片渕リアリズムが炸裂する空襲シーンの凄まじさだ。その日の天候も含め、呉空襲の詳細を調べ上げ、高角砲の弾道を計算し、爆撃機B-29の音をアメリカから取り寄せて描いている。警報以前に爆撃は始まり、慌ただしく対空砲火で迎え撃つ光景が、すずの主観で描かれる。視点は切り替わり、爆弾槽が開いて複数の爆弾がどのような段取りで投下されるのかまでも再現する。その緊迫感は、4Dさながらの効果を生むと言っても過言ではない。空襲体験の恐怖とは、こういうものだったのか…と打ちのめされる。どんな実写の戦争映画でも観たこともない現実感を味わった。僕は、東京大空襲の最中を逃げ惑った母に聞かされてきた体験談を、初めて理解したように思う。そして、日々の暮らしがこの上もなく愛おしく描かれているからこそ、このささやかな日常を破壊されたくないという思いに強く駆られるのだ。

■イメージを優先し空想で作り上げる宮崎駿へのアンチテーゼ

画像2 (C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

ただし、実はリアリズム一辺倒ではない。爆撃の合間にインサートされるすずの心象が、ポエティックで素敵なのだ。それは、究極の暴力を目の当たりにし、突き付けられた現実を受け入れることができなくなったすずが、何とか自分を保つために苛酷な現実を空想へと転換する、人間特有の心理を表わしている。理論と詩/現実と虚構を接続した編集が醸し出すこの恐怖と幻想は、アニメーションならではの大胆不敵な表現である。

戦争を肌で知る世代が次々と退場し始めてから、事実を語り伝える目的が希薄になり、フィクション性が強まって、“知らない世代”を感動させるための手段として、あの時代を利用する映画も生まれた。「自分の頭の中のイメージだけでは、ここまで描けなかった」という片渕のアプローチは、想像力で補えばいいとする実写戦争映画への痛烈な批評性に貫かれている。いや、それ以上に片渕の矛先は、宮崎駿に向けられているのではないか。

宮崎の最後の長編作品となった「風立ちぬ」公開の頃、片渕からこんな話を聞いた。「僕は、零戦を設計した人を歴史的に調べる立場でもある。零戦の設計者・堀越二郎さんの親戚の蔵から戦闘機の図面が出てきたので、鑑定に持っていった。するとその学芸員は、堀越さんがヨーロッパに留学した時に買い込んできた資料がこんなにあると言って見せてくれた。それをジブリに伝えたのですが、全く興味を持ってもらえなかった」。宮崎駿監督作品「魔女の宅急便」の演出補佐を20代で務めた片渕。実在している資料を基にせず、自分の中のイメージを優先して空想や理想でものを作り上げる宮崎演出に対し、片渕は大いなるアンチテーゼを示したといえる。

■手塚治虫的な要素と高畑勲的な要素の、その先にあるもの

画像3 ※向かって右から、真木太郎プロデューサー、丸山正雄プロデューサー、女優のん、片渕須直監督。
(呉市立美術館前にて)

片渕はまた、製作が難航した日米合作アニメーション映画「NEMO ニモ」に高畑勲が監督として携わっていたときの演出助手を務めていた。リアリズムの中に詩的な空想が突如侵入する作風は、高畑勲監督作品「おもひでぽろぽろ」を彷彿とさせる。あるとき片渕は、舞台挨拶の壇上から鑑賞前の観客に向けて、「タイムマシンであの時代に行って、すずさんの暮らしを覗いてきて下さい」と語った。ふと、「火垂るの墓」の記者発表資料にあった、「清太少年は、私には、まるで現代の少年がタイムスリップして、あの不幸な時代にまぎれこんでしまったように思えてならない」という高畑の言葉を想起した。その資料に、高畑はこうも書いた。「現実には決して切りひらくことの出来ない状況がある。それは戦場と化した街や村であり、修羅と化す人の心である。(略)アニメーションで勇気やたくましさを描くことはもちろん大切であるが、まず人と人がどうつながるかについて思いをはせることができる作品も必要であろう」。まさにこの精神を、片渕は継承しているといえるだろう。

「日本のアニメーションは2つの要素で成り立っている」という片渕の持論を聞いたことがある。それを簡略化すれば、「SFを持ち込んだ手塚治虫的な要素と、人間描写を掘り下げた高畑勲的な要素」であり、「両方体現したのが富野由悠季」だとする。ならばその先に位置するのが、片渕ではないだろうか。銀河の彼方や遙か未来という世界をゼロから緻密に構築していくSF的な作業と、戦前戦中のリアルを極める広島ビジュアルの再創造は、どこか通底するものがあると思うのだ。そこに、ありふれた日常を生きる人間の動作や表情を再発見する要素が融合した作品こそが、本作だ。スタジオジブリが、長らく世界の中心にいた時代が終わりを告げ、到来したアニメーション新時代。奇しくも2016年を象徴する日本映画には、この国を根底から揺さぶった「3.11」の記憶が込められている。アニメーター出身の庵野秀明の「シン・ゴジラ」は災厄を凍結させて対峙し、新海誠は「君の名は。」で未曽有の被害をリセットした。そして片渕須直の「この世界の片隅に」は、抗しきれない現実を前に、大切なものを失っても、それでもなお生きていく女性を通して、世界のありようを凝縮させたのだ。

[筆者紹介]

清水節

清水節(しみず・たかし)。1962年東京都生まれ。編集者・映画評論家・映画ジャーナリスト・クリエイティブディレクター。日藝映画学科中退後、映像制作会社や編プロ等を経て編集・文筆業。映画誌「PREMIERE」やSF映画誌「STARLOG」等で編集執筆。海外TVシリーズ「GALACTICA/ギャラクティカ」日本上陸を働きかけ、DVD企画制作。著書に「いつかギラギラする日/角川春樹の映画革命」、新潮新書「スター・ウォーズ学」(共著) 。WOWOWのノンフィクション番組「撮影監督ハリー三村のヒロシマ」企画制作でギャラクシー賞、民放連賞最優秀賞、国際エミー賞受賞。

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