「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」とトム・クルーズの本気 : 芝山幹郎  娯楽映画 ロスト&ファウンド

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コラム:芝山幹郎  娯楽映画 ロスト&ファウンド - 第12回

2015年8月6日更新

ああ面白かった、だけでもかまわないが、話の筋やスターの華やかさだけで映画を見た気になってしまうのは寂しい。よほど出来の悪い作り手は別にして、映画作家は、先人が残した豊かな遺産やさまざまなたくらみを、作品のなかにしっかり練り込もうとしている。

それを見逃すのは、本当にもったいない。よくできた娯楽映画は、知恵と工夫がぎっしり詰まった鉱脈だ。その鉱脈は、地表に露出している部分だけでなく、深い場所に眠る地底の王国ともつながっている。さあ、その王国を探しにいこうではないか。映画はもっともっと楽しめるはずだ。

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第12回:「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」とトム・クルーズの本気

ローグ・ステイト(rogue state)を「ならず者国家」と訳したのはだれなのだろうか。言葉自体は私も1990年代後半あたりから耳にしていたが、訳語を見て思わず首をひねってしまった記憶がある。

偏見とそしられれば、そうですかと返すしかないが、「ならず者」という単語を聞いて私が反射的に思い出すのは石井輝男の映画やイーグルスの歌だ。サングラスをかけた高倉健が香港の街を走っていた前者は、そのまま「ならず者」(64)という題名だった。イーグルスの名曲は、「デスペラード」という原題のほうが馴染み深いかもしれない。《いまからでも遅くないぜ/だれかに愛してもらいなよ》というフレーズは、70年代に若者だった人なら、一度は口ずさんだことがあるはずだ。

要するに「ならず者」という単語は、かつていくばくかの抒情や放蕩や哀愁の響きを帯びていた。それかあらぬか、ローグ・ステイトには、「ごろつき国家」とか「無法国家」とかいった訳語が当てられたこともあった。私自身、「あれは、“横車国家”とか“傍迷惑(はためいわく)国家”とか訳せばいいんじゃないか」と当時はつぶやいていたものだ。

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トム・クルーズ製作(製作者は他にもいるが、私の頭のなかでは彼の個人技だ)「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」(シリーズ第5作)の題名を眼にしたとき、真っ先に頭に浮かんだのがこの感想だった。重箱の隅を突つくような反応で申し訳ないが、映画ではローグ・ステイトではなくローグ・ネイションという言葉が選ばれている。まあ、妥当でしょう。ローグ・ステイトにしてしまうと、観客は、ビル・クリントン政権時代の米国が名指しした実在の中東諸国を反射的に想起するだろうから。

いきなりの「クルーズ走り」

そんなわけで、トム・クルーズ扮するイーサン・ハントが今回戦うのは、〈シンジケート〉と呼ばれるテロリスト集団である。国籍はばらばら。大半が元諜報員で、奸計と殺傷力にすぐれ、要人の誘拐や重要施設の爆破などを平然とやってのける。つまり、凶悪この上ない組織で、なおかつ首領のソロモン・レイン(ショーン・ハリス)は冷酷非情な統率力の持ち主だ。ただ、構成員は白人ばかりだし、「国家」と呼ぶには規模も小さい。

映画はベラルーシのミンスクではじまる。画面に現れるのは、エアバス社の巨大な軍用機A400Mだ。滑走路脇の草むらに潜んでいるのは、皆様お馴染みのベンジー(サイモン・ペッグ)だが、彼の報告によると、機内に積み込まれているのは、チェチェン独立派が調達した核弾頭らしい。

ベンジーは、ラングレーのCIA本部にいるブラント(ジェレミー・レナー)の指示を待っている。そうこうするうち、A400Mは離陸態勢に入り、助走をはじめる。駄目だ、間に合わない、このままでは危険な武器がテロリストの手に渡ってしまう……。

とそのとき、画面の右手からイーサンが疾風(はやて)のように駆けてくる。ご存じ「クルーズ走り」が映画の序幕から炸裂するのだ。太腿を高く上げ、両手を激しく前後に振って、イーサンは走る。走って跳躍して軍用機の主翼に飛び移り、さらに走って機体中央部の扉の隣にぶら下がり、ベンジーに外部操作で扉を開けさせようとするのだ。ベンジーは、必死にキーボードを操作する。軍用機は空高く舞い上がり、イーサンは凄まじい懸垂力で体勢を保持する。無茶だなあ。しかも機体に飛びついたあとは、しばらくカットが入らない。

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このシーンを見るだけでも入場料の元は取れるが、「ローグ・ネイション」のサービス精神はさらに旺盛だ。ロンドンでは、罠にかかって〈シンジケート〉に捕えられたイーサンが上半身裸で拷問を受ける。少しあとのウィーンでは、国立歌劇場を舞台に要人狙撃を阻止しようとする場面が繰り広げられる。

いうまでもないが、後者はヒッチコックの面白映画「知りすぎていた男」(56)のクライマックス場面へのウィンク(もしくはオマージュ)だ。あちらの舞台はロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで、曲はアーサー・ベンジャミンの「雷雲」だったが、こちらではプッチーニの「トゥーランドット」が使われる。「雷雲」ではシンバルの鳴らされる瞬間が狙撃の機会だったが、こちらは譜面に「ア・テンポ」と記された箇所でオーストリアの首相が狙われる。ここはふたつ目の山場。まだまだ峠は越えていないと匂わせるあたりは、けっこう余裕綽々だ。

複雑な餌がアクションを生かす

脚本・監督のクリストファー・マッカリーは、「ユージュアル・サスペクツ」(95)の脚本で一躍名を挙げた人だ。あの映画が公開されたときは、題名自体が「カサブランカ」(42)の終盤に出てくる有名な台詞(クロード・レインズの扮する警察署長が「ユージュアル・サスペクツ=札つきの容疑者=を洗え」と部下に指示を下す場面)から取られていたことが話題になった。

そんな作家であってみれば、「ローグ・ネイション」でも古典の引用はふんだんにちりばめられる。ヘリコプターからの俯瞰ショットで撮られたカサブランカの町は印象的だし、「知りすぎていた男」の序盤の舞台となるマラケシュのホテル・マムーニアも出てくる。舞台がロンドンに移ってからも、タワー・ブリッジやウェストミンスター寺院や石畳の小路(あれはどこなのか。ホルボーンやコベントガーデンの界隈だろうか)の撮り方は複数のヒッチコック映画のタッチを髣髴させる。

さらに駄目押しは、ファム・ファタルのイルサを演じるレベッカ・ファーガソンの存在だろう。

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イルサは謎の女だ。イーサンを捕え、イーサンを逃がし、イーサンを蹴倒し、イーサンの命を救う。正体も不明だ。表向きは英国諜報部から〈シンジケート〉に潜入したことになっているが、ダブルクロスやトリプルクロスの可能性も否定できない(このあたりは「ユージュアル・サスペクツ」でケビン・スペイシーが演じたカイザー・ソゼを連想させる)。頭が切れ、メカに強く、筋肉が発達していて、戦闘能力も抜群に高い。

それ以上に気になるのはイルサ・ファウストという名前だ。ファーガソン自身がスウェーデン出身という事実を勘案すると、どうしてもイングリッド・バーグマンの顔が浮かぶ。いうまでもないが、バーグマンは「カサブランカ」で「宿命の女」イルサ・ランドを演じた大女優である。

画像5 写真:Album/アフロ

まったくもう、だからといって話の本筋が変わるわけではないのだが、この名前は観客に対するルアーだ。この女にはなにかある、きっとなにかをしでかすぞ、とほのめかしつづけて、観客の興味をつなぎとめる手口。

このあたりの餌の撒き方は、マッカリーの勝利だろう。撒き餌などなくても派手なアクションだけで十分、という観客もいるだろうが、餌や網や仕掛けが複雑なほど、大胆なアクションが生きてくるという見方もある。マッカリーは後者を採った。古典という名のルアーや自身の過去作への言及を方々にちりばめつつ、息を継がせぬアクション場面を連打するのだ。

軍用機でのぶら下がり、オペラハウスでの狙撃、巨大な遠心分離器のような給水タンクでの潜水、モロッコでのバイクチェイス、ロンドンの迷路での追跡劇。どれもこれも、シングルヒットではなく、外野を深く破る長打だ。しかもこの人には、笑いを忘れないというサービス精神も備わっている。笑いといっても種類は多いが、近いのはハワード・ホークス風のドライ・ユーモアか。

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これが含まれると、アクションは馬鹿アクションに堕さない。頭を使い、工夫を凝らし、細部を充実させ、その上で片隅に小さな換気口を開けておくのだ。クルーズやペッグは、このあたりの喜劇的想像力と間合の取り方を十分に心得ている。ふたりの掛け合いにはオフビートな味が弾んでいるし、ビング・レイムズやアレック・ボールドウィンのとぼけた外しもなかなか生きている。

ひとつだけ惜しまれるのは、レインを演じたショーン・ハリスが、冷酷非情と凄みを強調しすぎたことだろうか。当初はベネディクト・カンバーバッチがこの役を演じるはずだったと聞くが、実現しなかったのはなんとも残念だ。彼ならば、知性と笑いと危うさの三拍子がそろった悪党像を作り出してくれたにちがいない。まあ、あまり欲張って、死んだ児の歳を数えるのはやめておこう。

【これも一緒に見よう】

■「知りすぎていた男
1956年/アメリカ映画
監督:アルフレッド・ヒッチコック

■「カサブランカ
1942年/アメリカ映画
監督:マイケル・カーティス

■「ユージュアル・サスペクツ
1996年/アメリカ映画
監督:ブライアン・シンガー

■「コンドル」
1939年/アメリカ映画
監督:ハワード・ホークス

[筆者紹介]

芝山幹郎

芝山幹郎(しばやま・みきお)。48年金沢市生まれ。東京大学仏文科卒。映画やスポーツに関する評論のほか、翻訳家としても活躍。著書に「映画は待ってくれる」「映画一日一本」「アメリカ野球主義」「大リーグ二階席」「アメリカ映画風雲録」、訳書にキャサリン・ヘプバーン「Me――キャサリン・ヘプバーン自伝」、スティーブン・キング「ニードフル・シングス」「不眠症」などがある。

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