「マッドマックス 怒りのデス・ロード」とジャンル映画の極限 : 芝山幹郎  娯楽映画 ロスト&ファウンド (2)

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コラム:芝山幹郎  娯楽映画 ロスト&ファウンド - 第10回

2015年6月9日更新

第10回:マッドマックス 怒りのデス・ロードとジャンル映画の極限

クルーの仕事に眼を見張る

つい脱線してしまったが、細部を豊かに繁らせつつ、人も車も猛スピードで驀進するというのが「マッドマックス」全篇を貫く特性だ。となると、見ている側はかなり忙しくなる。あ、いまの車は……お、あの女は……と眼移りする一方で、棒高跳びのポールを撓(しな)わせて襲いかかるポール・キャッツや、ウォー・リグの真上から槍を持って急降下するスピア・スロウアーズの超絶的な動きに度胆を抜かれてしまうのだ(シルク・デュ・ソレイユのメンバーが起用されている)。ヴァーバルなギャグはやや物足りないかもしれないが、フィジカルなギャグをこれだけ満載してくれれば文句のつけようがない。

なかでも私が笑ったのは、仮面ヘビーメタルバンド〈スリップノット〉を思わせるドゥーフ・ウォリアーの姿だ。もちろん古代から、戦争に楽器は付き物だった。ラッパ、角笛、太鼓、バグパイプ……。そこに武器という発想を加えれば、鉛色の仮面をかぶった赤い服の兵士が、激しく火を噴くダブルネック・ギターをかき鳴らしていてもべつに不思議ではない。別の車には、太鼓を連打する侏儒の集団も乗り込んでいる(これは「AKIRA」の影響か)。

奔放きわまるこの戦闘を、70歳の監督ジョージ・ミラーと72歳の撮影監督ジョン・シールは、可能な限りCGを使わずに完成させている。いや、グリーン・スクリーンさえほとんど使わなかったというから、恐るべきガッツだ。彼らは、セバスチャン・サルガド(やはり71歳だ)が撮ったブラジルの巨大な金鉱(5万人が蟻のように働いている)や、炎上するクウェートの油田地帯(湾岸戦争の際、サダム・フセインが火を放った)の写真を念頭に置いていたのかもしれない。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」 「マッドマックス 怒りのデス・ロード」

となると、スタント・コーディネーターを束ねたガイ・ノリス(アクション監督も兼任)の負担は想像を絶するものだったはずだ。さらに注目すべきは、積極的に採用されたEAS(エッジ・アーム・システム)の威力ではないか。聞くところによると、これはアームが7メートルほど伸びて360度の全方位高速移動撮影を可能にする軽量クレーン・キャメラの一種だという。なるほど、随所に挿入される垂直移動や、大きく撓って弧を描くポールの曲線的な動きなどをとらえるには、このキャメラが必須だったにちがいない。そして、映像の基礎にあったのは、3500枚も用意された絵コンテ。

舞台裏をくどくどと解説したのはほかでもない。「マッドマックス」は、「想像力の勝利」ならぬ「想像力の圧勝」をめざした映画なのだ。そのためには、質量ともに豊かな現場の作業が求められる。これを無視して「ノンストップ・カーチェイス」だの「ハイオクタン・アクション」だのといった決まり文句を並べ立てるのは、映画に対して失礼というものではないか。

指摘しておきたいクルーの仕事は、ほかにもある。コリン・ギブソン(プロダクション・デザイン)が造型した砦の空間とそこにうごめくフリークスの数々(核戦争の後遺症を明示している)。思い切りがよいのにバタつかないマーガレット・シクセルの編集術。彼らの仕事が結集しなければ、コレオグラフィー(振付)をフルに生かしたあの映像を画面に定着することは不可能だったはずだ。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」 「マッドマックス 怒りのデス・ロード」

ミラーは、彼らの力を総動員してさまざまなイメージを作り上げた。その基礎にはもちろん、いくつもの古典がある。ウォー・リグが襲撃を受ける場面の原型は明らかにジョン・フォードの「駅馬車」(39)だが、岩場のアクションでは、バッド・ベティカーの「平原の待伏せ」(53)を思わせるシーンもときおり見受けられる。

広大な空間と猛烈なスピード感の融合という点でいえば、ロード・ランナーやワイリー・コヨーテが大暴れするチャック・ジョーンズの短篇アニメシリーズ(主に50年代)もパン種になっているのではないか。私は、幾度しくじっても懲りず、つぎつぎと悪だくみを考えつくコヨーテのファンなのだが、あそこで描かれていた空間と動きは、ミラー自身の傑作アニメ「ハッピーフィート」(06。大氷原のブリザードがまるで荒野の砂嵐のようだった)を経て「マッドマックス」に受け継がれたと見てよいと思う。

古典の援用はほかにも多い。フュリオサの髪型は、カール・テオドア・ドライヤーの「裁かるゝジャンヌ」(28)やデビッド・フィンチャーの「エイリアン3」(92)を否応なく思い出させるし、戦闘シーンでの垂直的な動きは「ロイドの要心無用」(23)やハワード・ホークスの「コンドル」(39)に通じる匂いがある。さらにいうなら、ルイス・ブニュエル的な嗜好も随所に顔を見せる。そもそもミラーは、好んでフリークスを自作に出演させる監督だ。「マッドマックス/サンダードーム」(85)でマスター役を演じていた侏儒のアンジェロ・ロシットなどは、トッド・ブラウニングの名作「フリークス」(32)にも出演した大ベテランだ。

「マッドマックス サンダードーム」(85) 「マッドマックス サンダードーム」(85) 写真提供:アマナイメージズ

難産の過程を振り返る

最後にひとつ、付け加えておきたいことがある。「マッドマックス 怒りのデス・ロード」とは、構想17年=紆余曲折を経た映画だったという事実だ。

企画が立ち上がったのは1998年、撮影が開始されたのは2001年だった。製作資金は米ドルで調達され、製作費は豪ドルで支払われていた。ところが、01年の9.11事件の影響で米ドルが暴落し、25%の為替差損が発生する。これは大きい。製作は中断を余儀なくされた。

つぎの障害は、主演が予定されていたメル・ギブソンの舌禍事件だ。2006年、ギブソンはユダヤ人差別、女性差別、黒人差別の発言を連発し、アルコール依存症と双極性障害の兆候を明らかにする。その後の彼が、映画界からほぼ追放されたことは記憶に新しい。

当時「ハッピーフィート」(06)に取りかかっていたジョージ・ミラーは、ヒース・レジャー(彼もオーストラリア人だ)をマックスに起用することを真剣に考慮し、本人と打合せを重ねていた。だが08年1月、レジャーは29歳の若さで急逝する。企画はふたたび頓挫し、トム・ハーディのキャスティングが発表されたのは、2010年6月になってからのことだった。

このあとも悪運は去らない。ロケ地に選ばれたオーストラリア内陸部のブロークンヒルという土地が、15年ぶりの大雨に見舞われたのだ。乾き切っていた荒地には花が咲き乱れ、大地の中央には巨大な鹹湖が生まれた。マックスの隣でペリカンやカエルが泳ぎまわっていては撮影にならない。12年7月、ロケ地はアフリカ大陸のナミブ砂漠に変更される。

これが、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」難産のプロセスだ。〈マッドマックス3部作〉が初めて公開されたとき、ジョージ・ミラーは30代前半の若さだった。製作費を見ても、第1作の65万ドルが、今回は1億5000万ドルに跳ね上がっている。撮影日数は130日。砂漠でひたすら車を走らせる苛酷な撮影のせいか、主演のふたりは口も利かぬほど険悪な間柄になったという。文字どおりトラブル山積だが、映画を見終えて私の胸に残るのは、ジョージ・ミラーの不屈の姿勢だ。

「マッドマックス」(79) 「マッドマックス」(79) 写真:Album/アフロ

ミラーは、大波のようにつぎつぎと押し寄せる現実原則の数々に屈しなかった。彼が殉じたのは、「どうすれば映画を面白くできるか」、「どう撮れば観客の血が騒ぐか」という映画製作の快楽原則にほかならなかった。そのために彼は、登場人物たちを獣のように戦わせた。キスやハグや甘い言葉を交わす暇さえない彼らの戦い。そんな戦いを経た者だけが「優しさ」という名の生命の秘密に近づくことができるという逆説が荒野に直立する。

こう見てくると、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」は、壮大な英雄譚というより、ささやかな革命の物語や戦士たちの情感を伝える物語に近いような気がしてくる。だがミラーは、そんなメッセージを声高に伝えようとはしていない。むしろ彼は、「ジャンル映画の極限」をめざしている。考えてもみてほしい。こんなに単純な話でこれほど観客を昂奮させることができるのは「映画の栄光」以外の何物でもないではないか。

【これも一緒に見よう】

■「マッドマックス
1979年/オーストラリア映画
監督:ジョージ・ミラー

■「マッドマックス2
1981年/オーストラリア映画
監督:ジョージ・ミラー

■「マッドマックス/サンダードーム
1985年/オーストラリア映画
監督:ジョージ・ミラージョージ・オギルビー

■「ハッピーフィート
2006年/アメリカ映画
監督:ジョージ・ミラー

■「駅馬車
1939年/アメリカ映画
監督:ジョン・フォード

■「平原の待伏せ
1958年/アメリカ映画
監督:バッド・ベティカー

■「デューン/砂の惑星」
1985年/アメリカ映画
監督:デビッド・リンチ

■「ルーニー・テューンズ・コレクション/ワイリー・コヨーテVSロード・ランナー篇」
監督:チャック・ジョーンズ ほか

■「ロイドの要心無用」
1923年/アメリカ映画
監督:サム・テイラーフレッド・ニューメイヤー

[筆者紹介]

芝山幹郎

芝山幹郎(しばやま・みきお)。48年金沢市生まれ。東京大学仏文科卒。映画やスポーツに関する評論のほか、翻訳家としても活躍。著書に「映画は待ってくれる」「映画一日一本」「アメリカ野球主義」「大リーグ二階席」「アメリカ映画風雲録」、訳書にキャサリン・ヘプバーン「Me――キャサリン・ヘプバーン自伝」、スティーブン・キング「ニードフル・シングス」「不眠症」などがある。

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