3Dテレビの長い歴史(1) : 第三の革命 立体3D映画の時代

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コラム:第三の革命 立体3D映画の時代 - 第9回

2010年8月6日更新

一昨年春に連載し、好評を博した映像クリエーター/映画ジャーナリストの大口孝之氏によるコラム「第三の革命 立体3D映画の時代」が復活。昨年暮れの「アバター」公開により、最初のピークを迎えた感のある第3次立体映画ブームの「その後」について執筆していただきます。第9回は、3Dテレビの長い歴史について論じます。

第9回:3Dテレビの長い歴史(1)

【図1】ジョン・ロジ・ベアードによる3Dテレビ伝送実験(1927) 【図1】ジョン・ロジ・ベアードによる3Dテレビ伝送実験(1927)

最近、家電業界の話題は3D一色という感じだ。特にテレビに関しては、どのメーカーも必死である。2007年12月1日に開局した日本BS放送(BS11デジタル)が、同時に世界で初めての定時3D放送を開始し、これに対応した3DテレビE320SとE465Sが韓国ヒュンダイから発売された。しかしこの時点では、どこの放送局やメーカーも追随する動きを見せなかった。

だが今年に入った途端、韓国サムスンを皮切りに、韓国LGエレクトロニクス、日本のパナソニック、ソニー、シャープ、東芝、三菱などが一斉に3Dテレビを発売した。さらに海外では、フィリップスやVizioなども参戦している。チューナーなしのディスプレイ単体なら、さらに多くのメーカーがひしめきあっている状態にある。3D番組を放送するテレビ局も一気に増えた(詳しくは次回)。

このように今年は、確実に3Dテレビ元年といえる状態にある。しかし3Dテレビも、ここに至るまでに長い歴史があったのだが、意外なほど語られていない。

■映像メディアと3D

【図2】ホイートストンの「ステレオスコープ」(1838) 【図2】ホイートストンの「ステレオスコープ」(1838) [拡大画像]

よくある誤解として、映像メディアは白黒の静止画から始まり、動画、音声付き動画、カラー化、ワイドスクリーン化……と順に進化してきて、ようやく3Dの時代となったという考えがある。これは歴史的に見ると完全な間違いで、3D化はそのメディアの登場とほぼ同時に試みられている。

例えば、英国の物理学者チャールズ・ホイートストンは、1832年に両眼立体視という概念に気付き、ステレオペア画像を立体視する「ステレオスコープ」【図2】を発明して、1838年に英国王立協会で発表した。しかし、銀板写真法ダゲレオタイプが完成するのは翌1839年のことである。したがってホイートストンが立体視に用いていたのは、まだ手描きの線画だった。だが英国のタルボットが、1841年に印画紙式写真法カロタイプを発表すると、すぐにホイートストンは彼と組んで立体写真術を編み出した。

【図3】フリーズ=グリーンの3D映画カメラ(1890) 【図3】フリーズ=グリーンの3D映画カメラ(1890) [拡大画像]

動画の場合でも、3Dは極めて初期から対応していた。そもそも動画の誕生をいつと定義するかが難しいが、その原点となる「動く視覚玩具」を例に取ると、

「フェナキスティスコープ」のオリジナル版: 1832年→3D版: 1852年
「ゾートロープ」のオリジナル版: 1833年→3D版: 1865年
「ミュートスコープ」のオリジナル版: 1895年→3D版: 1901年

といった具合に、誕生からそれほど間を置かずに3D版が考案されているのが分かる。

■立体映画の元祖は?

映画となると、ちょっと事情が複雑である。映画の発明者の1人として、エジソンやリュミエール兄弟と並んで語られる人物に、英国のウィリアム・フリーズ=グリーンがいる。彼は独自に、帯状フィルムを用いた映画カメラ【図3】を1890年に開発している。そしてそれは最初から3D用に設計されていた。しかし彼はビジネスの才能に恵まれず、2万ポンドもの私財を投じながらも破産してしまった。

余談だが、フリーズ=グリーンが苦闘している間に、ちゃっかり3D映画を作ってしまった人物がいた。トリック映画の元祖として有名なジョルジュ・メリエスである。彼は、ヨーロッパ配給用とアメリカ配給用のネガを作るために、カメラを2台並べて撮影していた。つまり意図してステレオ撮影したのではなく、偶然3D映像になってしまったということである。実際に筆者は、彼の「地獄の鍋」(Le Chaudron Infernal, 1903)と「デルフォイのお告げ」(L' Oracle de Delphes, 1903)を、3D上映で鑑賞したことがある。これは世界一3D映画に詳しい、ミュンヘン映画博物館のシュテファン・ドレスラーが、2種類のプリントを発掘して復元したものだった。

■世界初の3Dテレビとは

【図4】ジェンキンスの「ステレオスコピック・ミュートスコープ」(1901・左)と元祖アクティブ・ステレオ(1898) 【図4】ジェンキンスの
「ステレオスコピック・ミュートスコープ」(1901・左)
と元祖アクティブ・ステレオ(1898)
[拡大画像]

そんなわけでテレビも、その発明と3D化はほぼ同時期に起きている。テレビの発明者も個人を特定することは難しく、複数の人物が複雑に関わっているのだが、英国のジョン・ロジ・ベアードは取り分け有名である。彼は、ドイツのポール・ニポーによって考案された「ニポー円盤」と、真空管増幅器を組み合わせたマシン「テレバイザー」を考案して、1924年に静止画、1925年に動画の伝送実験に成功した。これがテレビジョンの始まりと言われている。

と、ここまでは一般的な工学系の教科書にも書かれている話だ。実はこの話には続きがあって、ベアードはこの「テレバイザー」の3D化にも取り組んでいたのである。そして1927年に、サイド・バイ・サイド方式による3Dテレビジョンの実験に成功しているのだ。1928年には、ロンドンからグラスゴーまでステレオペアの画像が伝送された。【図1】

■アクティブ・ステレオの元祖

米国でベアードのライバル的存在だったのが、チャールズ・フランシス・ジェンキンスである。彼も「ラジオビジョン」と名付けられた、機械式の無線テレビジョンシステムを1925年に開発している。一方でジェンキンスは、早くから立体映画の開発にも取り組んでいた。

まず、前述の「ミュートスコープ」の3D版である「ステレオスコピック・ミュートスコープ」【図4左】を発明したのが、ジェンキンスなのである。これはフリップブックを機械化したもので、多数の連続写真カードをパラパラマンガの要領で送っていくことにより動画化するものだった。

だがジェンキンスのスゴイのはこの先で、それは1898年に特許を取得した「Device for Obtaining Stereoscopic Effects in Exhibiting Pictures」(映画を展示する際に立体視効果を得るための装置)【図4右】というものである。これは、1本のフィルムに右と左の映像を交互にプリントしていくという仕組みで、鑑賞には映写装置に連動させた電磁石で左右のシャッターを切り換える、電磁式メガネを提案している。

実際に制作されることはなかったようだが、これは紛れもなく今で言う「アクティブ・ステレオ」の元祖である。つまり現在、家電メーカーが3Dテレビに採用している、液晶シャッター・メガネの御先祖様(電磁石が液晶に代わっただけ)なのだ。映画館用で言えば、赤いメガネでお馴染みのXpanDも、このアクティブ・ステレオ方式である。

>>次のページでは1950年代の3Dテレビを紹介。

[筆者紹介]

大口孝之

大口孝之(おおぐち・たかゆき)。立体映画研究家。59年岐阜市生まれ。日本初のCGプロダクションJCGLのディレクター、世界初のフルカラードーム3D映像「ユニバース2~太陽の響~」のヘッドデザイナーなどを経てフリー。NHKスペシャル「生命・40億年はるかな旅」のCGでエミー賞受賞。「映画テレビ技術」等に執筆。代表的著作「コンピュータ・グラフィックスの歴史」(フィルムアート社)。

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