[文化通信.com] 今年8月15日に享年89歳で永眠された松林宗惠監督のお別れ会が9月10日午後、東京・成城の東宝スタジオNo.8ステージで行われ、松林監督と生前付き合いの深かった多くの関係者が参列した。発起人は宇津井健、恩地日出夫、小林桂樹、須崎勝彌、瀬川昌治、高井英幸、司葉子、中井貴一、森繁久彌、八千草薫の10氏。喪主は松林天平さん(ご長男)。世話人は東宝映画社長の富山省吾氏。
松林監督は1920年7月7日島根県生まれ。生家は浄土真宗西本願寺派福泉寺。41年龍谷大学卒業、法名は釋宗惠(しゃくしゅうえ)。42年日本大学芸術学部在学中に東宝撮影所助監督部に入る。44年学徒出陣し海軍少尉に任官。52年第一回監督作「東京のえくぼ」以降67本の映画を監督する。主な作品は、「人間魚雷回天」「太平洋の嵐」「世界大戦争」「連合艦隊」「社長三代記」以降の社長シリーズ23本(全38本中)。
東宝スタジオNo.8ステージには、大きな松林監督の写真を中心とした祭壇が設けられ、お別れ会の司会は、住居が近所だったこともあり親交の深かったなべおさみが務めた。まず、松林監督の経歴を紹介し、自身の監督に対する想いを読み上げ、参列者全員が起立し、なべが松林監督の撮影現場での掛け声を真似ながら「スタート!」の合図で、30秒間の黙とうを行った。続いて、「松林宗惠監督の映画と思い出」と題した18分間のVTRが上映され、参列者は故人とその作品に想いを馳せた。その後、松林作品の脚本を手がけた須崎氏、ほとんどの作品で助監督を務めた瀬川氏、作品に出演した八千草、司がお別れの言葉を述べ、発起人を代表して東宝の高井社長が挨拶に立ち、松林監督との思い出などを語った。




